いささか旧聞に属すが、参院選の話題を。
さきの参院選で最も注目された選挙区の一つは、山梨県選挙区だった。
「参議院のドン」とか「日教組のボス」などと呼ばれ、民主党の組合支配を象徴する、小沢一郎氏の最側近、輿石東氏に無名の元高校教師、宮川典子氏が挑んだ。
そもそも、あの鳩山・小沢ダブル辞任も、この輿石氏が、このままでは自分の選挙戦が危ない!というので当時の小沢幹事長と一緒になって、鳩山降ろしを進めた結果だった。
選挙結果は輿石氏が18万7千10票だったのに対し、宮川氏は18万3,265票。わずか3千票余りしか差がなかった。
まさに輿石氏クビの皮一枚の辛勝だ。
もしあの時、輿石氏が敗れていたら、と思うと本当に残念だ。
ところで、宮川氏がもう一歩のところまで迫りながら届かなかった背景について、ジャーナリストの堤堯氏のレポートに興味深い指摘がある。
地元の自民党県連幹部の分析だ。
「右翼団体が街宣車で押しかけて来て、盛んに輿石を糾弾しました。
彼らにすれば当然の糾弾でしょう、輿石のやっていることも糾弾に値します。
だけどそれが宮川に有利に働くかというと、必ずしもそうはいえない。
そこへ『たちあがれ日本』等がやって来て、輿石批判をやる。
なんか右と左の対決みたいな様相になってきて…贔屓の引き倒しみたいな感じになっちゃった」と。
さらに宮川氏本人の弁。
「山梨県人って、人の悪口を嫌うんです。
だから私はひとことも輿石さんの批判は口にしませんでした。
自分が国政の場に行けたら、こうもしたい、ああもしたい、それだけを懸命に訴えたんです」 (『リベラルタイム』9月号)
現地に入って思いの丈、輿石批判をぶちまけた人達は、さぞ痛快だったろう。
だが、それこそ輿石氏への最大の援軍だったのかも知れない。
運動における「自己の客観化」がいかに大切で、しかも至難であるかを銘記させるエピソードと思い、時期外れながら敢えて紹介した。